みなさんどうも初めまして、僕はトモロヲと申します。
この<なぜ僕が自分の生き方を発信するのか?「3.11のあの日から」>というのは
僕がブログを開設するキッカケとなったある出来事について書いてあります。
是非読んでいただければと思います。
そのある出来事とは平成23年3月11日に起きた
「東日本大震災」です。
その時のことを振り返ります。
・当時の僕について
当時僕は部活動をしながら高校に通う普通の高校生でした。
普通と言っても学校の中でも頭はそこまで良くなくどちらかというと模範生徒には程遠い、
担任の先生にはしつこく毎日名前を呼ばれるようなそんな生徒でした。
授業?そんなもんしないで弁当を食べるか、寝るか、携帯をいじるか。
大人を大変舐めていたクソガキだったと思います。
今思い返せば、もっとしっかりしとけば良かったなんて思いますがそれも今の自分。
そして何より、高校1年性の時に親の離婚をきっかけに殻に籠るようになってしまったのです。
(今思うと既に中学生の時に大きな殻に籠ってしまっていました・・・。)
人生なんて楽しくないや、真面目に生きるなんて全く意味がない。俺は俺だ!
家族がどうであろうと俺は俺の生き方で生きるんだ!
とんだ勘違い野郎はここから生まれていたのです。
「何を考えているのかわからない」
「とにかく変なやつだ」
とすごく言われてきましたが、それあってこそ僕なんだと。
幸いにも変わり者であった僕には友達と呼べる仲間がいたことは今でも恩義に感じています。
今でも連絡をくれる仲間は高校時代の仲間であります。
・震災が起きた日の出来事
その時、僕は部活(バスケ部)に向かう前で
自宅のソファに腰掛けふと窓の外をボーッと眺めていました。
「今日も部活かあ。」
めんどくせえなあ・・・
なんて思いながら・・・
そんなボーッとしていたその時に
僕の住んでいたマンションが揺れ始めたのです。
「ゴゴッ」
いつもの地震と同じようにすぐ収まるだろうと過信をしていました。
揺れは収まらず
「ゴゴゴゴゴゴッ」
急に窓ガラスが割れると思ってしまうぐらいの強い揺れに変わり、
とてつもない揺れがマンション全体を揺らしました。
それに驚いた僕は
思わず外に駆け出してしまい外へ出ていきました。
「ガチャ」
ドアを開けて外に出ると
10階建のマンションが大きく揺れているように感じ驚きました。
とてつもない揺れに駐車場の車さえ揺れているのを感じました。
部屋に戻りテレビをつけると緊急速報が入りました。
すぐにニュースが変わりました。
速報では
マグニチュードは7.9(当初)
みたことのないほどの数値でした。
震源地は東北。
へえすげえなあ何も良くわかっていない高校生の僕はやばいな思いながらも
僕はそれでも学校に向かいましたが案の定、全ての部活は自宅待機。
帰宅した僕がテレビで地震速報を確認した。
映っていたのは福島の原発事故の映像。
放射線物質が福島を飛んでいくという情報。
その被害は、僕の住む東京にまでくるという予測も。
地震から1時間後、テレビでは各地の津波映像。
テレビをみて僕は「あれ?」と思ってしまいました。
何故ならそこには、
祖父母の住んでいる岩手県釜石市が津波に飲み込まれている映像が映っていたんです。
衝撃でした。
僕は画面から目を離せませんでした。
「目が釘付け」ていうのはまさにこういうことをいうのか。
「見たことのある景色が波にのまれている・・・。」
思わず、開いた口が塞がりませんでした。
祖父母がこの波に飲まれてしまっているんじゃないかって
不安が頭をよぎりました。
心配でした。
とにかく心配でした。
そして僕は、祖父母の安否を確認するために電話をかけ続けました。
向こうで、停電が起きていることがわかっていても・・・
いつか繋がるだろうって
いつ繋がるかわからないって
心配だったんです。
しかし、そんな思いは虚しく電話は繋がらないまま。
3.12 震災の翌日。
翌日僕は、学校に行き、全校集会で
多くの学生が原発事故を影響かマスクを着用してる姿を見ました。
異様でした。
マスクなんかつけて意味があるのか?なんて当時は思っていました。
祖父母と連絡は繋がらないこと1週間が経ちました。
そんなある日に1通の葉書が届きました。
そこに書かれていたのは、
祖父母の無事を知らされていました。
ホッとしました。
読んだ瞬間にずっと抱えていたかのように肩から力が抜けました。
当時の僕にとってとてつもないほどに誰かを失いたくないと
そう思っていたのだと思います。
3年後に祖父母のいる釜石へ。
数年後僕は、釜石に行きました。
そこで当時の様々な話を聞きました。
資料館には津波の記録が残されていました。
※津波に流された船を書いた絵
※津波に流され止まった時計
※当時の写真
インターネットやTVなど様々な映像が残っています。
自分の生き方を発信するのはなぜ?
テレビやSNSなどのメディアは感動も悲しみも視覚を通して共有してくれます。
その効果は計り知れないほどあり与えられた人がどのように受信するかによって
その人の心は大きく動化すことができます。
じゃあ僕は何を発信しようか?いや何を発信すべきなのか?考えました。
世の中とか社会とか生きていく良さを感じることのできるもの自分でできないのか?
20歳以下の若者の自殺率が高いのは日本なんだってということは
若者は将来に未来に希望をもてないような世界にしちゃっている世の中を変えなきゃいけないよな。
やり方なんてなんでも良い。とにかく笑え。
笑っていれば生きている意味だってそのうちわかるってだから頑張れるんだよ。
とにかく生きているなら楽しく生きるのが一番なんだよ。
そう思った僕は、僕なりに考えた僕のものを発信するものによって
人が楽しんだり
人が感動したり
人が少しでも元気になる
そんなメディアなることを作っています。
その第一歩がこのブログであるということです。
このブログの目的。
このブログを通じて
1日のなかで少し
「楽しむ」という時間を持っていただくこと。
これがこのブログの最大の目的です。
最後にはなりますが、皆様の心からの「楽しむ」メディアを作るために
僕は精進してブログを書きます。
是非読んでください!
釜石震災から9年後
最新記事はこちらから
フォローよろしくお願いします!
Twitterはこちらから
Instagramはこちらから
今後とも、よろしくお願いします。
by トモロヲ